炎の蜃気楼40巻読んだ日記

もしかしたら2021年初のブログ?!

まじかー。 炎の蜃気楼(ミラージュ)、本編を読み終わりました、のご報告です。特に報告せいとだれからも言われてはないんですけど、この一ヶ月強暇さえあれば読んでいたのが一区切りしたので記録しとこ、のきもちです。

 

とても面白かったです。月並みのことばですが、面白かった。言葉なんて塵のようなもの、と直江は言いましたが、そんなことないよぉ……!

途中、あんまりな展開や不穏な引きにここで終わっとこうよ…というきもちとまだまだ読み足りない…というきもちがせめぎ合ったり(山口編とか列濤編とか)、有名なセリフの原典にようやく行き会った感動とか(いろんな意味ですごかったみなぎわ)なんだかいろいろありましたが、無事40巻まで頁を繰ることができました。

 

……みんなもう知ってるだろうけど言っていい?

桑原先生すごくないか?

デビュー作を14年、40巻かけて完結させて、その後もこつこつ淡々とストイックに物語を書き続ける……その姿勢を尊敬する。しかも、デビュー作をいったん完結させた後に過去編も執筆されてますよね? いったん完結した物語にまたあらたな息を吹き込むってすごく怖いことだと思うんだけど、まあ私には想像しかできないけれど、なんというか、書くことから絶対に逃げないひとなんでしょうね。

正直、神鳴あたりはやけに先生の筆が急いてないか? と思うところがあったりしたんですけど、そのスピード感と、要不要をざくざく切り分けたような語り口はかえってこちらの胆をすわらせたといいますか……。

 

40巻まで読み終えて思うのは、遠くまで来たなあという感慨と、見知らぬ土地での心細さに似た心地です。リアルタイムで追ってた方々はなおさらなんじゃないでしょうか。

桑原先生のあとがきもすっきりとした語り口で簡潔に書かれていて、最後は高耶さんにも直江にも、物語に出てきただれもかれもに、なんなら先生にまで置いて行かれるようなさみしさがありましたが、けっきょくのところ、ひとは傷も記憶もさみしさも喜びもなにもかもをきちんと己のものにしたうえで、己の脚を頼りに立って歩かねばならないのですね。

私にはいっしょに歩いてくれる今空海様もおりませんが、見届けたぞー! というその事実と、いま考えていることをちゃんと覚えておきたくて、この記事を書いているのでした。

 

私事ですが、夜明けのシーンで終わる物語がたいへんすきでして。日が昇っていちにちが始まる、日が沈んでまた終わる、それを繰り返して、地上のどこにもきょうとあすを区切る明確なもののない時間の連続性を想起させるからだと思うのですが。

そこに直江がいて、ああこの男は命が尽きるまでの毎日毎秒をひとり歩いて行くのだ、と明白に告げる物語のおわりが潔く、こざっぱりとしていて、最終巻のサブタイトルとも響きあってなんともいえずよかった……。

恋を延命させるための努力がすきだとは常々言っていますが、その極北を見られてよかったです。

作中約5年間の時間の流れの中で、諦めておけば楽だった瞬間なんていくらでもあったのに、互いに一歩も譲らず、間違えては怒り、償い、ふれては傷つき、そうしても互いへの厳しい目をそらさなかったふたりのことは、なんかもう、怖いくらい潔癖だな、と考えていたのですが、そういえば、ずいぶんと早い段階からこのふたりは相手のことをもうひとりの自分だと思っていたのだったと、ついさっき思い出して、そりゃー厳しいわけだ、とちょっと笑いました。ふたりとも自分にいちばん厳しいから……。

 

そのときどきで、すきなふたりの関係性がそこここにありました。

高校生高耶さんを餌付けしようとする初期の直江はいま思い返すとなんとも不恰好でいとおしいし、千秋の運転は嫌だと直江の助手席を選ぶ高耶さんはぶっきらぼうな素直さが年相応にかわいらしいし、信頼しているはずの直江を少しずつ怖いと思い始めてしまう高耶さんも、記憶を取り戻しかけている不安定さから直江を頭から押さえつけてしまう高耶さんのい傲岸さとその反面のいまにも頽れそうな風情とか、距離を隔ててさえ景虎さまのあんまりにも強い光に霞まされそうになる総大将・直江の萎れた様子とか、高耶さんのそばにいるためなら手段をも選ばないブルドーザーみたいな怨讐の直江とか、今空海さまと橘として四国で蜜月を過ごすふたりとか、初期の民俗バディものの雰囲気を彷彿とさせる熊野編とか。

そこから耀変~最終巻までのふたりはものすごく特別なふたりでしたね。いやずっと特別なんだけど、こんどこそ、同じものを見るために、同じものだけを信じ切っていたふたりで。

あげればキリがないけども、それがここに結実するのか、と、ほんとうにほんとうに、途方のないものを、桑原先生はよく書き切ったなって尊敬します。

 

友人が「ミラージュは私の性癖の原典」とことあるごとに言っていて、なんとなくそれがいいなあって思っていたんですよね。私はあまり特定の作品に強い思い入れを持たない(持てない)人間なので、私はここから、と言い切れるのって、なんか憧れがあって。

なので、ミラージュを読み始めてから、時々、感想というか、備忘録的にツイートを残していたのですが、終盤は面白いくらいになにも言えんかった……。読み終わりたくなかったし、でも読み終わりたかったし、そういうせめぎ合いと、残り少なくなるページ数を見ながら直江と高耶さんの結末になんとなく予感めいたものが浮かんでそわそわしてたので頭が回らなかったんですよね(でも嶺次郎が直江に「おんしゃあ何着ても似合うな」って言ったのはたまらんかった。れいじろすき)。

何回でも言うけど、ハイカロリーな読書体験で、も〜〜ほんと〜〜に疲れました。でも楽しかったな。

私に私の今空海さまはいなかったけど、新規の感想を遠目に見守ってくださった先達のみなさま、ありがとうございました。山口編でベコベコにへこんで、この先まだ20巻くらいあるんでしょ!?換生するのか!?やだ!高耶さんの体と直江の体がいい!って混乱していたので、ふふふ、って笑ってもらえてちょっと気が楽になりました。

広島編以降のしょーもないツイートは下のスレッドから読めます。直江への好感度は常にジェットコースターでした。あと、元春さまと成実さまがだいすきです…。

  

時折RTされた先を覗いていたのですがネタバレにはぜんぜん遭遇しなかったな。完結して時間の経った作品だし、わざわざ私のためにそうしてくれたわけじゃないと思うけれど、ありがとうございます。ほんとになーーんにも知らなかったので、最終巻でびっくりしました。嘘やん、ってなりました。先生の後書きまで読んで落ち着きましたが。

それから、どなたかが直江と景虎の人物評総括のためには昭和編まで読んでほしい、とおっしゃっていたので……しばらくぼんやりしたら、過去編もゆっくり読み始めようと思います。

 

 この物語は、これですべて、読み手である皆さんのものになりました。

 これ以上、書き足される一字一句はありません。これにて「完」です。

—『炎の蜃気楼40 千億の夜をこえて (集英社コバルト文庫)』後書きより

 

桑原先生のことばでいちばんすきなの、ここかもしれない。